今年の紅白が来たようだ。
今年ついに開催が途絶えたかなと、他人事のように思い始めていたわけだが、だいぶ前から水面下で進めていたようで、前の記事書いていた頃にはできてたのね。
まあそれはどうでもいいとして(参加しないし)
今年の紅白はどうやら作者名が伏せられるらしい。
作者が作品選びの基準にならないようにというのが狙いなのかもしれない。
これまでにない意欲的な取り組みだと言いたいところだが、あんまりというか、ほとんど意味の無いことなんじゃないかと思ってしまう。
どうせ、作者自身が工作しない限り、SSやら紹介文やら作品名やらで8割バレる。
それすらも隠したところで、結局プレイすれば誰の作品だとか言われるわけである。
(おまけに自作宣伝はOKとかあるから何のためにそうしてるのか全くわからない)
VIPツクスレも元々、2chコミュニティである故、昔からコテは慎め文化は名目上あったわけだが、同時に「特定遊び」なんてのもあったわけで、名前がなくとも「○○の人」とかにされていたわけだし、結局のところ、作者が「誰」であることをもっとも重視しているのがみんなの本音なんだろう。そういった建前と本音に疲れたのか、近年のVIPツクスレは隠すこともなくコテ至上主義である。むしろ名無しは不審者扱いされる始末だ。
(相変わらずコテは○ねとか言ってる化石連中もいるわけだが)
別にそれが悪いとは言わない。というより、逆の名無し至上主義というものに無理があったと言うべきで、VIPツクスレは当たり前の路線を行ったのかもしれない。
同じ技量のツクラーであれば、どこの誰ともわからない人より、名作○○を作ったという名声を背負った人の方が圧倒的優位なのは明らかだ。ツクラーやってる人なら誰だって自分のためなら後者を目指す道を選ぶだろう。
実際、自分もVIPツクスレに来た当初は、郷には入れば郷に従えに則り、名無しツクラーでいたわけだが(実際はもっと他の理由もある)、だいたい2、3年でそれに限界を感じてしまった。ここは続ければわかることだが、何かを作っても自分の功績にはならないからモチベーションは上がらないし、それ故に自作品への愛着や責任感も生まれない。有名になれるかなれないか、作品の出来不出来はともかく、名無しでいることはツクラーとしての自分の進歩にはマイナスであると感じたのである。他のツクラーだって、自分を評価してほしいなら、自分が誰なのかなんて大々的に示す道を選ぶだろう。名無し神話はツクラーには通用しないのである。名も明かさず、颯爽と現れて名作を投下するスーパーヒーローの存在なんて、幻想の中の幻想なのだ。
そもそも先述の通り、作品の評価において「作者が誰であるか」は最重要に近い要素であり、それを取っ払えばVIPツクスレが絵に描いた餅で望むような公平・公正・中立的な評価がされるのかといえば、全くそんなことはないし、それでそれまでの評価が大きく覆るかといえば、やっぱりそれも違うんじゃないかな。
本当の意味で「作者なき作品評価」を望むなら、単に名前を隠す程度ではなく、さらにもっと作者隠しの規定や管理側が参加者に少なからず干渉する必要があると思うよ。そこまで来ると、参加者が同意するかどうかの話になってくるがね。
まあ、その方がより「意欲的な試み」の祭りができるわけだがら、それは確かに面白いかもしれないけど、果たして今のVIPツクスレの人たちがそれを許すかな。